今でも真剣にオープン2シーターのスポーツカーに乗りたいと思っている、実は熱い男。
フォトグラファーnoBuです。
僕が高校在学中の18歳で免許をとってから、最初に手にした車がポルシェ914だった。
1975年製の914はそのときすでに23年落ちの大中古。
口の悪い友人からは「ボロシェ」だの「ポンコツポルシェ」だの「ワーゲン」だのって言われた。
純白であったであろうボディは経年老化で若干くすんでいたし、表面にクラックや小さな錆もあった。
でも、この914が僕の最初の愛車だった。
手にしたその日に高校在学中から懇意にしてもらった、沼津出身の自動車漫画家の西風さんの自宅に遊びに行き、「買っちゃいました!」といったのは今でもはっきりと覚えている。
この日初めて屋根を開けて、西風さんのドライブで愛鷹600クラブ周辺のワインディングを走行している時にシフトノブが抜けて(このシーンはまさにギャグ漫画のようだった)西風さんと二人で真っ青な顔を見合わせたのが最初のトラブルだった。
ちなみにこの時の様子は当時西風さんが連載を持っていた「くるまにあ」という雑誌に書かれている。
そんな914だが、ミッドシップエンジンレイアウト、水平対向エンジン、タルガトップによるオープンボディ、低い着座位置の2シーターなど、まさにオープンスポーツカーの血統を持っていた。
僕はこの914を毎日足として乗り、嬉しさのあまり毎週ハイオク55リッターの給油をするほどあちこち走り回っていた。
エアコンが無くて暑かろうが、雨漏りしようが、エンジンオイルが若干漏っていようがおかまい無しで、明らかな雨の日以外は常に屋根はオープン。
夜中まで一日中走って帰宅して鼻をかむとティッシュペーパーが排気ガスで真っ黒になった。
夏場はシートベルトの跡がクッキリと残るほど日焼けした。
そんなある日、御殿場から籠坂峠を抜けて山中湖に遊びに行く時に、目の前を真っ赤なスーパーカーが走っているのを見つけた。
僕は914のシフトノブを4thから2ndに叩き込み、一気に加速するとそのスーパーカーを追い掛けた。
そのスーパーカーはいわゆるクルージングスピードで走っていたのであっという間に追い付いた。
「デ トマソ パンテーラ」
イタリアカロッツェリアのデ トマソのボディのフォードのV8エンジンをぶち込んだ姿も中身もスーパーカーだ。
昔も今も三度の飯より車が好きな僕はそのパンテーラに着いて行った。
ほどなくパンテーラは山中湖近くの黄色い工場群の一角にある駐車場に止まった。
お互いドアを開けて車から降りると、どちらからともなく話し始めた。
車好きは車好きと話がしたくてたまらないものである。
自分の愛車がどんなヒストリーを背負い、自分がその愛車をいかに愛しているかを語りたい生き物なのだ。
エンジンフードを開けたり相手の愛車のシートに座ったりしながらしばし車談義に花を咲かせた。
デ トマソ パンテーラと言うと、忘れてはいけない伝説の男がいた。
東名高速の厚木インターから東京料金所までの高速バトルで名を馳せた伝説の男。
フルチューンの青いフェアレディZでは満足出来ず、中古のパンテーラを購入し、単身アメリカに渡ってストックカーレースチューンのエンジンを持ち帰った伝説の男。
目黒通り大鳥神社交差点でまっぷたつに折れたパンテーラとともに文字通り伝説になった男。
彼の名は「ゲーリー アラン 光永」
ハワイ生まれの日系人。
彼が散った目黒通りには、あのころ僕が足しげく通ったミツワ自動車のショールームがあって、大鳥神社の交差点を246方向に走ると今のポルシェセンター目黒がある。
ミツワ自動車のサービスフロントのスタッフは個人的にはランボルギーニ カウンタックに乗っていたことを、アメリカに留学する妹を成田空港に送る途中のサービスエリアで偶然遭遇して知ったのはそれから数年後のことだった。
目黒通り大鳥神社交差点。
僕自身、免許をとってからのこの11年間で何度その場所を通っただろう。
僕はまだまだゲーリー光永のように散るわけにはいかない。
僕は11年前の成人の日の翌日(当時はまだ1月15日が成人の日だった)に免許をとり、翌日は温暖な伊豆にしては珍しく朝から雪が降る中を、妹と二人で祖父のサーフブルーの190Eを運転して出かけた。
あれから10台以上の車を乗り継ぎ、今では3台目の190Eに乗っている。
そして今日、友人のmixiの日記で僕は再び914に乗っていたあのころのことを思い出した。
いや、一度たりとも忘れたことは無かった。
あのころともに914で走った仲間が、家庭の事情により泣く泣く914を手放すと言う。
この914との思い出はまた次の機会に。
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ファミリアカブリオレ
おやじは遠い昔ファミリアカブリオレなる車に
乗っていました。
屋根を開けると別世界で
寒い中ヒーター全開で走っていました。
でも夏は暑すぎ・・・
汗だらけ脱水症状でした。
仕事場がユーノス店になり試乗車を
乗り回していたのも昔
かさねがさねいいですね!
ファミリアカブリオレですか!
懐かしいですね。
シティカブリオレとか、カルタスコンバーチブルとか、リーザコンバーチブルとか。
オープンカーの醍醐味はなんと言っても屋根を開けた時に広がる別世界の開放感ですね。
露天風呂のような気持ち良さです。
ユーノスという響きも懐かしい。
ロードスターはもちろん、肥大していく他車を尻目に5ナンバーサイズで上質な車を完璧に具現化した500。
そして今でも欲しいコスモ!!!一説によるとイギリスではジャガーXJ-Sよりも美しいと言われたとか。
あの頃のマツダはデザインにしても技術にしても世界最高水準だったと僕は確信しています。
ロードスターやコスモや500の外板の絞りの技術。その流麗で美しく、肉体美のような張りのある面によるデザイン。
ロータリーはもちろんメルセデスをもうならせたミラーサイクルエンジン。
10年保障の高品質の塗装。
今のトヨタやメルセデスに、あの頃のマツダの爪のアカを煎じて飲ませたいくらい。
そう言えばユーノス店ではシトロエンも扱っていましたね。
その2
シトロエンもBXが好きでインターの脇にあった
沼津サービスのショウルームにおじゃましたことが
ありました。
後日友人がBXを購入
乗せていただいてシートのなんともいえないよさに
びっくりしました。
しかし、後年マツダがシトロエンのインポーターに
なるとは想像できませんでした。
沼津インターのところはジムゼでしたね。
あの頃はシトロエンBXとかサーブ900とかプジョー505とかの時代ですね。
僕も父に連れられて行った記憶があります。
BXのシートは本当に素晴らしい!!!
メルセデスの比じゃ無いです。
あの頃のフランス車のシートは本当に良いです。
サーブも900の頃はなかなか良かったですね。
レザーシートの場合はヘッドレストに牛革の印みたいなワッペンが縫い付けてあって可愛いですよ。
でも天井が垂れてくるんだよなぁ、、、。
その3
505もかなりあこがれました。
そうそうジムゼでしたね。
あそこの2階はなんか怪しげなものを置いて
あったような気がします。
西洋の石像とかいろいろ置いてあったような気もしますが、、、。
西部自販とか、懐かしいな。
ミツワもサーブ始めて、作家の五木寛之さんがポルシェの縁で広告に出てました。
西部自販のシトロエンBXの広告には男性が赤いBXのボンネットフードに金髪の女性を押し倒している写真が掲載されて、キャッチはたったひと言「キザ。」だったり。
そんな時代でした。
話は変わりますが、先日190Eから230Eに乗り換えました!
なかなか良い車です。
バブル絶頂期の1991年車。
リアルにバブルを知らない僕ですが、バブル気分が抜けきらない僕でした、、、。
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