長い人生において、何度おとずれても飽きない場所がある。 それが鎌倉。
フォトグラファーnoBuです。
6月18日木曜日 朝8時30分。 曇り。
最近写真をはじめた後輩と静岡のチベットとも言うべき寸又峡を目指して、我が愛車1990年式メルセデスベンツ230Eを走らせる。
寸又峡の夢の吊り橋からエメラルドグリーンのダム湖を見ようと、数週間前から計画をしていた。
後輩が6月27日発売のデジタル一眼レフ「ペンタックスK-7」を買うまでの間、まずはデジタル一眼レフに慣れるようにと仕事を退役したニコンD70を貸してある。
しかし、自然風景が好きな後輩にとって、中途半端に観光開発されてしまった地元伊豆の地は心に響かないらしい。
そこで、思いっきり自然を堪能できる寸又峡となったわけだ。
ところが、寸又峡のダム湖の美しい色合いというのは天候に恵まれないと見ることはできない。
ここ数日の雨でダム湖は濁り、また、寸又峡に向ってメルセデスを走らせている今も、ときおり雨がぱらついてくるあいにくの状況である。
開け放ったスライディングルーフ越しに、どんよりと淀んだ空とにらめっこしながら国道を富士まで来たところで後輩と相談する。
このまま天気の心配をしながら一か八か寸又峡に行くのか?
あるいは、行き先を変更して鎌倉の明月院にアジサイを観に行くか?
しとしとと雨の降るなかで眺めるアジサイは、まさにこの季節にしか楽しめない旬の粋と趣がある。
寸又峡は、真夏の灼熱の太陽の下、汗を垂らしながら登るのもまた健康的で良いではないか。
さいわい寸又峡はアルカリ泉質の素晴らしい温泉が有名である。
大自然を満喫し汗をかいたら温泉に浸かって疲れを癒せば良い。
梅雨のアジサイはじきに見れなくなってしまうが、寸又峡は僕たちから逃げることはない。
そう言うわけで、まだ雨は降っていないが万一を想定して、急遽行き先を変更し一路鎌倉へ。
箱根を抜けて西湘バイパスを流し鎌倉に到着するとちょうどお腹も空きはじめる。
もう10年以上愛用しているロレックスデイトジャストピンクローマンに目をやるとちょうど12時になったところだった。
江の電長谷駅と極楽寺駅の間にある行きつけの洋食屋KAROは残念ながら定休日。
KAROから少し極楽寺方向に行ったところの力餅屋もどういうわけか長蛇の列。
そこで由比ケ浜のクアアイナでランチをすることにした。
ここのハンバーガーのいかにもハワイアンな雰囲気が僕は好きだ。
アメリカンではなくてハワイアンなのだ。
いつも僕はここのテラス席から外を眺めながら風を感じながら大きなハンバーガーにかぶりつく。
鎌倉のクアアイナは表参道やお台場の店舗とは少し違う時間、すなわちワイキキやノースショアともどこか似た空気が流れているように思う。
せわしない平日の昼でも、バカンスの香りがする。
言い換えるならば背広にネクタイといったオフィース街のビジネス臭がしない。
これはおそらく、由比ケ浜から漂う潮風と、鎌倉という古都の成熟した文化がそうしているのだろう。
テラスでカメラ談義に花を咲かせていると、一羽のスズメが僕たちの手の届くすぐそばまで飛んできた。
その仕草や表情の愛らしさと言ったら、これ以上は無いのではと思わせるほどだった。
後輩がそのスズメにニコンのレンズを向ける。
その真剣で無邪気な表情に、僕は後輩に「旅の友カメラ」ペンタックスK100Dに装着した旧コンタックス用カールツァイスプラナーのレンズを向ける。
後輩のニコンの前でまるで踊り子のようにタップダンスをするスズメを撮る後輩。その後輩のまだ一眼レフに慣れ切れていぎこちなさと真剣さとが入り交じった表情にプラナーを向ける僕。

後輩の姿はまるで買ってもらったばかりのオモチャで夢中になって遊ぶ少年のようだ。
この何かひとつのことに熱中する、少年らしさと言うか子供っぽさが男の魅力だし、いずれ大人の色気に変化して行くのだと思う。
と同時に、カメラをいじるその指先の細やかな動きはとても色っぽい。
カメラにしてもクルマにしても、最近の機械はそのほとんどが自動化されて人間の感性で操作する部分が非常に少なくなっている。
僕はこのことが非常に残念でならない。
マニュアルシフトを巧みに操作し、クルマを自在に操る。そんな男の姿はバツグンにかっこいい。
美味いハンバーガーで空腹を満たすと腹ごなしを兼ねて北鎌倉の明月院を目指して歩きはじめる。
由比ケ浜近くの駐車場にメルセデスを待たせて僕たちはカメラを手にときおり陽ざしが差し込む鎌倉の街を北進する。
今日のカメラは600万画素のAPS-Cサイズのセンサを持つペンタックスK100D。
今となってはたかだか600万画素だが、ナチュラルな発色はいつ見ても飽きないし僕好み。さらに太古の昔のスクリューマウントから最新のKマウントレンズ、はたまたちょっとした改造で京セラ時代のコンタックスカールツァイスレンズまで装着できてしまう上、それらすべてのレンズで手ブレ補正効果を得られるという何とも趣味カメラに最適な一眼レフだ。
しかも単三電池でも撮影できるから旅先でバッテリ切れで撮影できないという心配も無い。
来週27日発売のK-7は確かに素晴らしいカメラだが、専用バッテリを標準仕様としてしまった点で、遊びカメラには不向きだ。
なぜなら、撮影前日に「良し!明日はたっぷり撮影するぞ!」と前もってバッテリを充電しなければならない。
これではせっかくの気楽な旅が、写真を撮らなければならないような不思議なプレッシャーを感じながらの窮屈なものになってしまう。
さて、いつもならカメラを手に街中をストリートスナップといくはずだが、今日は手持ちのレンズがカールツァイスプラナー50mm。APS-CサイズセンサのK100Dの場合はレンズに表記された焦点距離の1.5倍の焦点距離のレンズに相当する画角まで狭まってしまう。
つまり、135フィルムを使用する通常のライカ判に換算すると75mm相当にあたる。
ということは中望遠レンズになるわけで、ストリートスナップには不向きであり、むしろポートレートなどの人物写真やちょっとした花や商店の小物の写真に向いていることになる。
全体の風景を写し出すというよりも、そのときそのときで心に響いた何がしかの情景を切り取るのに適しているということだ。
すなわち、今日僕がこのレンズで写真を写すという行為は、僕の心の内面を写し撮るという行為に他ならないのだ。
そう考えると、今日の目的はいつものダラダラとシャッターを切るストリートスナップでは無く、今が旬のアジサイに彩られる古都鎌倉を撮るという第一目的だから最適なカメラだと言える。
今日は、アジサイのために来たのだ。
小一時間ほど歩いて北鎌倉の明月院に到着。
拝観料を払い山門をくぐると僕たちの目に今まで見たことも無いほど多くのアジサイが飛び込んで来た。
本当に、これほどたくさんのアジサイが一度に花を咲かせいるのは初めてだ。
青い小さな花の群衆がここにも、そこにも、あっちにも。
どこを見渡してもいちめんのアジサイ。
しかし、これだけたくさんのアジサイがあっちにもこっちにも咲いている状況だと、印象的な写真はなかなか難しい。
観光ガイドのような「アジサイがたくさん咲いてますよ〜」みたいな説明的写真にはうってつけの状況だが、一花一花を大切に撮るにはあまりに花が多すぎる。
後輩と僕は何万株とある花の中からひときわ輝く「私を撮って」とささやきかけてくる花を選んでレンズを向ける。
僕はプラナーの甘くとろけるようなボケ味をじゅうぶんに活かすために、絞りを開き気味にし、手前に濃い色の葉を入れながらその奥の淡い紫ないし青色の花にフォーカスを合わせる。その花から背景に行くにしたがって徐々にフォーカスがフェードアウトしていきながら遠景のアジサイの株は葉の部分は濃く、花の部分は白くまるでタンポポの綿毛のようにふんわりと柔らかい色のにじみとなっていく。


そういう構図を心掛けながら「闇夜に雪の降るごとく」という言葉があるが、まさにそんな心で一枚いちまい丁寧に心を静めながらそっとシャッターを押していった。
方丈庭園でお茶をいただき心を静め。
精神を集中して自らを律し、己を戒める。
そっと目を閉じると実に穏やかでここち良い気持ちになれる。
清々しい気持ちで方丈庭園を出ると、アジサイをバックにツーショットを撮っているカップルがいた。
彼は不安定な手付きで一眼レフを彼女と自分に向け、顔を引きつらせてシャッターを押している。
案の定、撮り終えたあとのモニタを見て渋い顔をしている。
僕も経験があるが、一眼レフで自分撮りするのはひじょうに難しい。
そこで僕はスッと声をかける。
「撮りましょうか?」
「えっ!?いいんですか?あっ!同じペンタックスですね!じゃあお願いします。」
彼の手から僕の手に渡されたカメラはペンタックスの最新小型一眼レフK-mだった。レンズを見るとなんと21mmのリミテッドレンズ。
このレンズセレクトに僕は彼の趣味の良さを感じずにはいられなかった。
よりたくさんのアジサイが写り込む立ち位置まで彼女と彼を誘導し、目瞑りを考慮して続けて2回シャッターを切った。
ついつい仕事のクセでね、目瞑りとか考えちゃうんだよね。
モニタで確認して彼にK-mを返しながら「このレンズ、、、カメラお好きなんですね」と声をかける。
彼も「レンズだけはこだわりました!」と答える。
彼女と二人でモニタを見ながら喜んでいる。
僕も満足だ。
「ありがとうございました!」そう言って軽く会釈をすると、二人はアジサイと人混みのなかにまみれていった。
その後ろ姿を見送りながら、「次は僕も大切な恋人と来よう、またこの鎌倉へ。」そう思い、ちょっぴり切ない気分になった。
アジサイ咲き誇る梅雨の明月院をあとにして、建長寺から銭洗弁天に向う。
銭洗弁天に続く急坂は、まるでわれわれ現代人に「楽して儲けようなんて甘い考えは捨てろ!苦労の末に得られるのが金なんだ!」とでも教え諭しているかのようだった。
その急坂を登りながら、僕はフリーターの後輩にお金について語る。
「若いうちは金なんか貯めようと思うな!」
「稼いだ金は全て使ってしまえ!」
「金にケチなのは良い、でも金に汚い男にはなるな!」
「身銭を切って学ばなければ意味が無い!身銭を切った分だけ自分の世界が広がる!」
「金なんか使って苦労してはじめてありがたさや大切さが身にしみるんだ!」
「金なんか大したもんじゃ無い!世の中にはもっともっと尊い物なんかいくらだってある!」
もうすぐ30歳という節目を迎える僕は、後輩に熱く語った。
人生のちょうど午前10時頃に立った僕が、これから訪れるであろう40代と言う正午から午後にかけて、どういう生き方をするか?
最近そんなことばかりを考えている僕の、ひとつの答え。
あるいはこれから発見するであろう答えを見つけるためのヒントを後輩に伝えた。
銭洗弁天を後にすると次は洋館めぐり。
実は後輩も僕も建築好き。
建築好きの僕たちにとって鎌倉は発見と喜びのおもちゃ箱みたいな場所だ。
いくつかの洋館を見て鎌倉文学館にたどり着いた頃には、ピンクのデイトジャストの針は17時少し手前。もう鎌倉文学館には入れない。
文学館の素晴らしい洋館建築を外から眺めながら、僕の大好きなバーTheBankの前を通って、愛車メルセデスの待つ由比ケ浜に向ってゆっくりと歩き出す。
あたりは夕暮れの気配を漂わせはじめている。
同時に雨もぱらつきはじめた。
後輩も僕も、自分の体でカメラをかばいながら足早に歩きだす。
何かの本で読んだ、銀河鉄道999の松本零士が若い時に無理してブライトリングの時計を買ったときの話を思いだす。松本零士も防水で無いブライトリングを自らの体でかばいながら雨の降りしきる街を駆け足で家路を急いだと言う。
昨今問題になっている東京中央郵便局や同潤会アパート、旧正田邸。
それらの素晴らしい建築をどうして日本人は守り抜けないのか?
後輩と語りながら歩く。
その命題に答えを出したのは僕だった。
「ヨーロッパは子供の頃から古い建築に触れ、住みながら成長していく。だから彼らにとって古い建築物は当たり前であり有って当然なものであり、無くてはならないもの。しかし、常に新しいものだけに目を向け、ほっ建て小屋に毛のはえた程度のマイホームに何千万も払うことが常識となり、はたまた住む家も無くてネットカフェを住居とするような生活が公然とまかり通っている。そんな環境を当たり前と思って成長してきた日本人に、歴史的建造物や、あるいは歴史と文化と伝統その物の大切さをどうして理解できようか?できるはずが無い!そもそもの学校教育からして間違っている。」
僕はそう熱弁を振るった。
後輩も下見羽目板造りの校舎のある鎌倉の某高校の前を歩きながら、「こんな立派な建築があるのに、ここの生徒たちはその素晴らしさとありがたさにどれだけ気付いて居るんでしょうね?」と続ける。
日本の教育は間違っている!!!
そんなことを熱く語り合っているうちに愛車メルセデスの待つ由比ケ浜そばのパーキングが近付いてきた。
楽しかった鎌倉も、終焉が近付いている。
心配した雨も、文学館あたりで若干ぱらついたものの何とか保ってくれた。
これほどありがたいことは無い。
すべてが、今日の僕たちの味方をしてくれたのだ。
由比ケ浜のパーキングからメルセデスを滑り出させ、夕暮れの国道134号線をのんびりと流す。
めずらしく渋滞の無い134号線は50km/hくらいのペースで流れている。
僕はアルパインのオーディオからボサノヴァをセレクトする。
一日中歩き回り、写真を撮った、その日の夕暮れ。
海岸線の響く波の音。
来るときと同様に開け放ったスライディングルーフと、全開の窓を駆け抜ける潮風と、スピーカーから流れる透き通るようなヴォーカルのボサノヴァが最高に心地良い。
僕たちは真昼の汗を流すために箱根の温泉に向う。
順調に奥湯本の温泉に着くとまずは露天で今日一日の汗を流す。
さっぱりしたところで和食屋でしゃぶしゃぶに舌鼓を打つ。
小田原の冷酒を酌み交わしながら味わうしゃぶしゃぶは最高に美味い。
美味いしゃぶしゃぶで空腹と心を満たし、ふたたび露天風呂へ。
サウナで汗を流し、水風呂で身も心も引き締め、しばらくのんびりしてから家路につく。
久々にのんびりと、でも何もしないわけでは無くて充実した休日だった。
こんな幸せな時間を共にしてくれた後輩に心から感謝!!!
次は、次こそは寸又峡か?
素股狂じゃ無いよ!?
えっ!?そんなこと言ってない!?
お後がよろしいようで、、、。
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