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Rentier-noBu

Author:Rentier-noBu
地元静岡と東京都内を拠点に人物ポートレートを中心に撮影するフォトグラファーnoBuの公式ブログ。
Digitalからライカやローライなどのアンティークカメラまであらゆるカメラを使いこなす。
趣味としてクルマやアンティークウォッチにも精通する。


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2009/06/28 (Sun) 22:45
トーキョーのミライ

美しいこの国が好きだ。
フォトグラファーnoBuです。



この国の首都、東京。

戦後長らく世界経済の中心を維持し続けていた街、東京。

1990年代のバブル崩壊を経て、いま徐々に、でも確実に世界経済の中心からフェードアウトしつつある。
このスピードはニューヨークよりも確実に早く、そして確固たるものだと僕は確信している。

経済都市として生きてきた東京の未来は、いったいどうなるのだろう?

答えは、文化都市だと思う。

栄枯盛衰を繰り返し、人の世の酸いも甘いも知り尽くした、成熟した街だけが初めて手にすることができる。
文化都市の称号。

ヨーロッパ諸国が中世の文化を今もたたえる素晴らしい都市であるように。
ニッポンの首都トーキョーは、いずれ現代の中性の黄金郷として後世に名を馳せるだろう。

ニッポン古来の文化と、スクラップアンドビルドのアメリカ式文化、そして成熟したヨーロッパ文化。
それらすべてが調和し融合した不夜城東京。
その姿は世界人類をこれからも魅了し続け、また、世界人類にとって魅惑の存在であり続ける。

過日の恩師の写真展の会場で、恩師が東京銀座周辺の夜景を空撮したモノクローム作品を観た。
そのとき不思議と感じた感覚。
「この街は、僕を求めている。僕は、この街に帰りたがっている。」
久々に感じたこの感覚。
僕はもう、トーキョーを忘れたと思っていたのに。

僕が目指すもの。
美しくも魅惑的な文化都市トーキョーを、この手で築きたい。
荒廃と衰退に撃ちひしがれたこの街を、ふたたび輝かせる仕事をしたい。
いつか、この手で。

僕は、ニッポンに生まれ、生きて良かった。

テーマ : このままで、いいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

2009/06/21 (Sun) 12:20
100マイルの風

おとこ三十。どうスタートを切るか。
フォトグラファーnoBuです。



昨日から降りつづける雨。

ガレージのメルセデスSL320はその屋根を開けたまま、今にも僕とドライブに行きたそうな顔でこっちを見ている。

メルセデスのキーを握り、コールハーンのスリッポンに素足を入れるとガレージに向かう。
やまない雨を恨めしく思いながら、SLのソフトトップを閉める。

屋根を開けてこそオープンカー。
僕はオープンカーの屋根を閉めるのが好きではない。
ましてSLKやEOSのようなメタルトップは嫌いだ。

SLのエンジンに火を入れると、アイドリングが落ち着いて水温が安定するのを待つ。
その間にウィンドゥスクリーンにレインエックスを塗り、やまない雨に備える。

午前4時。
まだ明けきらない夜の闇の中を、ハイウェイに向けてステアリングを握る。
ハイウェイのゲートの手前でいちどSLを止めると、ソフトトップを開ける。

まだ雨は降っている。

ゆっくりとハイウェイのゲートをくぐり、四ツ葉のクローバーのようにはり巡らされたランプウェイのタイトなコーナーを3rdでいっきに駆け上がる。
コンボイの影もまばらなハイウェイを100マイルまで加速するSL。
高まるエンジンの回転とシンクロするように、僕のどんよりとした心も徐々に高まってくる。

ハイウェイを東に向けてひたすら走る。

オレンジ色のメーターの針はちょうど100マイル。
僕のすぐ頭上を100マイルの風が流れているのだ。

このスピードで走り続けていると、屋根を開けていても雨は車内には入ってこない。
ウィンドゥスクリーンを叩き付ける雨の雫は、まるで過ぎ去った時間のように一瞬ではじけてはるか後方に飛び散っていく。

ガレージを出て1時間ほど走ると、海辺の小さな街にたどり着いた。

べつにこの場所を目標に駆け抜けてきたわけではない。
SL320の100マイルの風に誘われるままにアクセルを踏み続けてきた。
ただその結果がたまたまこの海辺の小さな街だっただけ。

人生も同じなのかな?

一日いち日を真っ直ぐ歩んだ結果。
がむしゃらに駆け抜けた二十代の結果。
そのたどり着いた先が三十代の出発点になる。

いつのまにか雨もやみ、空も明るくなりはじめた。

僕はまたSLに乗り込むと、ふたたび走り始める。
こいつとなら、これからの未来を駆け抜けていける。
そんな強い自信が僕に湧いてきた。

テーマ : 生きること - ジャンル : 心と身体

2009/06/20 (Sat) 01:01
ふたたび鎌倉へ

長い人生において、何度おとずれても飽きない場所がある。 それが鎌倉。
フォトグラファーnoBuです。



6月18日木曜日 朝8時30分。 曇り。

最近写真をはじめた後輩と静岡のチベットとも言うべき寸又峡を目指して、我が愛車1990年式メルセデスベンツ230Eを走らせる。

寸又峡の夢の吊り橋からエメラルドグリーンのダム湖を見ようと、数週間前から計画をしていた。
後輩が6月27日発売のデジタル一眼レフ「ペンタックスK-7」を買うまでの間、まずはデジタル一眼レフに慣れるようにと仕事を退役したニコンD70を貸してある。
しかし、自然風景が好きな後輩にとって、中途半端に観光開発されてしまった地元伊豆の地は心に響かないらしい。

そこで、思いっきり自然を堪能できる寸又峡となったわけだ。

ところが、寸又峡のダム湖の美しい色合いというのは天候に恵まれないと見ることはできない。
ここ数日の雨でダム湖は濁り、また、寸又峡に向ってメルセデスを走らせている今も、ときおり雨がぱらついてくるあいにくの状況である。

開け放ったスライディングルーフ越しに、どんよりと淀んだ空とにらめっこしながら国道を富士まで来たところで後輩と相談する。

このまま天気の心配をしながら一か八か寸又峡に行くのか?
あるいは、行き先を変更して鎌倉の明月院にアジサイを観に行くか?

しとしとと雨の降るなかで眺めるアジサイは、まさにこの季節にしか楽しめない旬の粋と趣がある。
寸又峡は、真夏の灼熱の太陽の下、汗を垂らしながら登るのもまた健康的で良いではないか。
さいわい寸又峡はアルカリ泉質の素晴らしい温泉が有名である。
大自然を満喫し汗をかいたら温泉に浸かって疲れを癒せば良い。

梅雨のアジサイはじきに見れなくなってしまうが、寸又峡は僕たちから逃げることはない。

そう言うわけで、まだ雨は降っていないが万一を想定して、急遽行き先を変更し一路鎌倉へ。
箱根を抜けて西湘バイパスを流し鎌倉に到着するとちょうどお腹も空きはじめる。
もう10年以上愛用しているロレックスデイトジャストピンクローマンに目をやるとちょうど12時になったところだった。

江の電長谷駅と極楽寺駅の間にある行きつけの洋食屋KAROは残念ながら定休日。
KAROから少し極楽寺方向に行ったところの力餅屋もどういうわけか長蛇の列。
そこで由比ケ浜のクアアイナでランチをすることにした。
ここのハンバーガーのいかにもハワイアンな雰囲気が僕は好きだ。
アメリカンではなくてハワイアンなのだ。
いつも僕はここのテラス席から外を眺めながら風を感じながら大きなハンバーガーにかぶりつく。
鎌倉のクアアイナは表参道やお台場の店舗とは少し違う時間、すなわちワイキキやノースショアともどこか似た空気が流れているように思う。
せわしない平日の昼でも、バカンスの香りがする。
言い換えるならば背広にネクタイといったオフィース街のビジネス臭がしない。
これはおそらく、由比ケ浜から漂う潮風と、鎌倉という古都の成熟した文化がそうしているのだろう。

テラスでカメラ談義に花を咲かせていると、一羽のスズメが僕たちの手の届くすぐそばまで飛んできた。
その仕草や表情の愛らしさと言ったら、これ以上は無いのではと思わせるほどだった。
後輩がそのスズメにニコンのレンズを向ける。
その真剣で無邪気な表情に、僕は後輩に「旅の友カメラ」ペンタックスK100Dに装着した旧コンタックス用カールツァイスプラナーのレンズを向ける。

後輩のニコンの前でまるで踊り子のようにタップダンスをするスズメを撮る後輩。その後輩のまだ一眼レフに慣れ切れていぎこちなさと真剣さとが入り交じった表情にプラナーを向ける僕。

090618d.jpg

後輩の姿はまるで買ってもらったばかりのオモチャで夢中になって遊ぶ少年のようだ。
この何かひとつのことに熱中する、少年らしさと言うか子供っぽさが男の魅力だし、いずれ大人の色気に変化して行くのだと思う。
と同時に、カメラをいじるその指先の細やかな動きはとても色っぽい。
カメラにしてもクルマにしても、最近の機械はそのほとんどが自動化されて人間の感性で操作する部分が非常に少なくなっている。
僕はこのことが非常に残念でならない。
マニュアルシフトを巧みに操作し、クルマを自在に操る。そんな男の姿はバツグンにかっこいい。

美味いハンバーガーで空腹を満たすと腹ごなしを兼ねて北鎌倉の明月院を目指して歩きはじめる。
由比ケ浜近くの駐車場にメルセデスを待たせて僕たちはカメラを手にときおり陽ざしが差し込む鎌倉の街を北進する。

今日のカメラは600万画素のAPS-Cサイズのセンサを持つペンタックスK100D。
今となってはたかだか600万画素だが、ナチュラルな発色はいつ見ても飽きないし僕好み。さらに太古の昔のスクリューマウントから最新のKマウントレンズ、はたまたちょっとした改造で京セラ時代のコンタックスカールツァイスレンズまで装着できてしまう上、それらすべてのレンズで手ブレ補正効果を得られるという何とも趣味カメラに最適な一眼レフだ。
しかも単三電池でも撮影できるから旅先でバッテリ切れで撮影できないという心配も無い。
来週27日発売のK-7は確かに素晴らしいカメラだが、専用バッテリを標準仕様としてしまった点で、遊びカメラには不向きだ。
なぜなら、撮影前日に「良し!明日はたっぷり撮影するぞ!」と前もってバッテリを充電しなければならない。
これではせっかくの気楽な旅が、写真を撮らなければならないような不思議なプレッシャーを感じながらの窮屈なものになってしまう。

さて、いつもならカメラを手に街中をストリートスナップといくはずだが、今日は手持ちのレンズがカールツァイスプラナー50mm。APS-CサイズセンサのK100Dの場合はレンズに表記された焦点距離の1.5倍の焦点距離のレンズに相当する画角まで狭まってしまう。
つまり、135フィルムを使用する通常のライカ判に換算すると75mm相当にあたる。
ということは中望遠レンズになるわけで、ストリートスナップには不向きであり、むしろポートレートなどの人物写真やちょっとした花や商店の小物の写真に向いていることになる。

全体の風景を写し出すというよりも、そのときそのときで心に響いた何がしかの情景を切り取るのに適しているということだ。
すなわち、今日僕がこのレンズで写真を写すという行為は、僕の心の内面を写し撮るという行為に他ならないのだ。

そう考えると、今日の目的はいつものダラダラとシャッターを切るストリートスナップでは無く、今が旬のアジサイに彩られる古都鎌倉を撮るという第一目的だから最適なカメラだと言える。

今日は、アジサイのために来たのだ。

小一時間ほど歩いて北鎌倉の明月院に到着。
拝観料を払い山門をくぐると僕たちの目に今まで見たことも無いほど多くのアジサイが飛び込んで来た。
本当に、これほどたくさんのアジサイが一度に花を咲かせいるのは初めてだ。
青い小さな花の群衆がここにも、そこにも、あっちにも。
どこを見渡してもいちめんのアジサイ。

しかし、これだけたくさんのアジサイがあっちにもこっちにも咲いている状況だと、印象的な写真はなかなか難しい。
観光ガイドのような「アジサイがたくさん咲いてますよ〜」みたいな説明的写真にはうってつけの状況だが、一花一花を大切に撮るにはあまりに花が多すぎる。
後輩と僕は何万株とある花の中からひときわ輝く「私を撮って」とささやきかけてくる花を選んでレンズを向ける。

僕はプラナーの甘くとろけるようなボケ味をじゅうぶんに活かすために、絞りを開き気味にし、手前に濃い色の葉を入れながらその奥の淡い紫ないし青色の花にフォーカスを合わせる。その花から背景に行くにしたがって徐々にフォーカスがフェードアウトしていきながら遠景のアジサイの株は葉の部分は濃く、花の部分は白くまるでタンポポの綿毛のようにふんわりと柔らかい色のにじみとなっていく。

090618e.jpg

090618f.jpg

そういう構図を心掛けながら「闇夜に雪の降るごとく」という言葉があるが、まさにそんな心で一枚いちまい丁寧に心を静めながらそっとシャッターを押していった。

方丈庭園でお茶をいただき心を静め。
精神を集中して自らを律し、己を戒める。
そっと目を閉じると実に穏やかでここち良い気持ちになれる。

清々しい気持ちで方丈庭園を出ると、アジサイをバックにツーショットを撮っているカップルがいた。
彼は不安定な手付きで一眼レフを彼女と自分に向け、顔を引きつらせてシャッターを押している。
案の定、撮り終えたあとのモニタを見て渋い顔をしている。
僕も経験があるが、一眼レフで自分撮りするのはひじょうに難しい。
そこで僕はスッと声をかける。
「撮りましょうか?」
「えっ!?いいんですか?あっ!同じペンタックスですね!じゃあお願いします。」
彼の手から僕の手に渡されたカメラはペンタックスの最新小型一眼レフK-mだった。レンズを見るとなんと21mmのリミテッドレンズ。
このレンズセレクトに僕は彼の趣味の良さを感じずにはいられなかった。
よりたくさんのアジサイが写り込む立ち位置まで彼女と彼を誘導し、目瞑りを考慮して続けて2回シャッターを切った。
ついつい仕事のクセでね、目瞑りとか考えちゃうんだよね。
モニタで確認して彼にK-mを返しながら「このレンズ、、、カメラお好きなんですね」と声をかける。
彼も「レンズだけはこだわりました!」と答える。
彼女と二人でモニタを見ながら喜んでいる。
僕も満足だ。
「ありがとうございました!」そう言って軽く会釈をすると、二人はアジサイと人混みのなかにまみれていった。
その後ろ姿を見送りながら、「次は僕も大切な恋人と来よう、またこの鎌倉へ。」そう思い、ちょっぴり切ない気分になった。

アジサイ咲き誇る梅雨の明月院をあとにして、建長寺から銭洗弁天に向う。

銭洗弁天に続く急坂は、まるでわれわれ現代人に「楽して儲けようなんて甘い考えは捨てろ!苦労の末に得られるのが金なんだ!」とでも教え諭しているかのようだった。
その急坂を登りながら、僕はフリーターの後輩にお金について語る。
「若いうちは金なんか貯めようと思うな!」
「稼いだ金は全て使ってしまえ!」
「金にケチなのは良い、でも金に汚い男にはなるな!」
「身銭を切って学ばなければ意味が無い!身銭を切った分だけ自分の世界が広がる!」
「金なんか使って苦労してはじめてありがたさや大切さが身にしみるんだ!」
「金なんか大したもんじゃ無い!世の中にはもっともっと尊い物なんかいくらだってある!」
もうすぐ30歳という節目を迎える僕は、後輩に熱く語った。
人生のちょうど午前10時頃に立った僕が、これから訪れるであろう40代と言う正午から午後にかけて、どういう生き方をするか?
最近そんなことばかりを考えている僕の、ひとつの答え。
あるいはこれから発見するであろう答えを見つけるためのヒントを後輩に伝えた。

銭洗弁天を後にすると次は洋館めぐり。
実は後輩も僕も建築好き。
建築好きの僕たちにとって鎌倉は発見と喜びのおもちゃ箱みたいな場所だ。
いくつかの洋館を見て鎌倉文学館にたどり着いた頃には、ピンクのデイトジャストの針は17時少し手前。もう鎌倉文学館には入れない。
文学館の素晴らしい洋館建築を外から眺めながら、僕の大好きなバーTheBankの前を通って、愛車メルセデスの待つ由比ケ浜に向ってゆっくりと歩き出す。
あたりは夕暮れの気配を漂わせはじめている。
同時に雨もぱらつきはじめた。
後輩も僕も、自分の体でカメラをかばいながら足早に歩きだす。
何かの本で読んだ、銀河鉄道999の松本零士が若い時に無理してブライトリングの時計を買ったときの話を思いだす。松本零士も防水で無いブライトリングを自らの体でかばいながら雨の降りしきる街を駆け足で家路を急いだと言う。

昨今問題になっている東京中央郵便局や同潤会アパート、旧正田邸。
それらの素晴らしい建築をどうして日本人は守り抜けないのか?
後輩と語りながら歩く。
その命題に答えを出したのは僕だった。
「ヨーロッパは子供の頃から古い建築に触れ、住みながら成長していく。だから彼らにとって古い建築物は当たり前であり有って当然なものであり、無くてはならないもの。しかし、常に新しいものだけに目を向け、ほっ建て小屋に毛のはえた程度のマイホームに何千万も払うことが常識となり、はたまた住む家も無くてネットカフェを住居とするような生活が公然とまかり通っている。そんな環境を当たり前と思って成長してきた日本人に、歴史的建造物や、あるいは歴史と文化と伝統その物の大切さをどうして理解できようか?できるはずが無い!そもそもの学校教育からして間違っている。」
僕はそう熱弁を振るった。
後輩も下見羽目板造りの校舎のある鎌倉の某高校の前を歩きながら、「こんな立派な建築があるのに、ここの生徒たちはその素晴らしさとありがたさにどれだけ気付いて居るんでしょうね?」と続ける。

日本の教育は間違っている!!!

そんなことを熱く語り合っているうちに愛車メルセデスの待つ由比ケ浜そばのパーキングが近付いてきた。

楽しかった鎌倉も、終焉が近付いている。

心配した雨も、文学館あたりで若干ぱらついたものの何とか保ってくれた。
これほどありがたいことは無い。
すべてが、今日の僕たちの味方をしてくれたのだ。

由比ケ浜のパーキングからメルセデスを滑り出させ、夕暮れの国道134号線をのんびりと流す。
めずらしく渋滞の無い134号線は50km/hくらいのペースで流れている。
僕はアルパインのオーディオからボサノヴァをセレクトする。
一日中歩き回り、写真を撮った、その日の夕暮れ。
海岸線の響く波の音。
来るときと同様に開け放ったスライディングルーフと、全開の窓を駆け抜ける潮風と、スピーカーから流れる透き通るようなヴォーカルのボサノヴァが最高に心地良い。

僕たちは真昼の汗を流すために箱根の温泉に向う。

順調に奥湯本の温泉に着くとまずは露天で今日一日の汗を流す。
さっぱりしたところで和食屋でしゃぶしゃぶに舌鼓を打つ。
小田原の冷酒を酌み交わしながら味わうしゃぶしゃぶは最高に美味い。

美味いしゃぶしゃぶで空腹と心を満たし、ふたたび露天風呂へ。
サウナで汗を流し、水風呂で身も心も引き締め、しばらくのんびりしてから家路につく。

久々にのんびりと、でも何もしないわけでは無くて充実した休日だった。
こんな幸せな時間を共にしてくれた後輩に心から感謝!!!

次は、次こそは寸又峡か?
素股狂じゃ無いよ!?
えっ!?そんなこと言ってない!?

お後がよろしいようで、、、。

テーマ : お散歩写真 - ジャンル : 写真

2009/06/09 (Tue) 00:49
カードを引くことからすべては始まる

あれこれ悩む前に一歩踏み出すこと。行動無くしては何も始まらない。
フォトグラファーnoBuです。



例えば、あなたと僕とでカードゲームをやるとする。
何でも良いんだけど、わかりやすいところで言うとトランプのババ抜きかな。

まぁ、あなたと僕の二人しか居ないわけだから、こんなつまらないカードゲームも無いけど、ということはあなたか僕のどちらかが確実にババつまりジョーカーを持っていることになる。

そう考えるとなかなか相手のカードを引きにくい。
引いたらそれがいきなりジョーカーかもしれない。
たとえ今、自分の手にジョーカーを握っていたとしても、涼しい顔でポーカーフェイスを演じなくてはならない。

しかし、どちらかがカードを引かないことには何も始まらない。

カードを引くことから、すべてのドラマは始まる。

これは恋愛も同じなのね。



また例え話。

あなたと僕は恋人の関係だったとする。
僕はどちらかと言うと自分の手の内は隠さずどんどん明かしちゃうタイプ。
「能ある鷹は、、、」という先人の教えなんかまったく無視!!!

「ありのまま全部見せて、それで嫌われたってしょうが無いじゃん!?カッコ付けてイイ顔したって、そんなの続くわけ無いじゃん!?だったら最初っから在りのままの自分で行こうよ!」

それが僕。

昔は違うよ。
精いっぱい背伸びして、カッコ付けて、大人ぶって、イイ男を演じてた。
でもそんなのしばらく経てばアラが出るのね。
「メッキは剥げる」でしょう???

それで何度も痛い目にあって、恥ずかしい思いもして、相手にも涙を流させて、、、それでやっと気付いた。

最初っから公言しちゃおうと。

「俺ってこんなどーしょもない男です」って。

最初っから言っちゃうの。

不幸なことに、それでもあなたは僕に恋をしてしまった。
もちろん僕もあなたに恋をした。
あくまで例えね。

さて、ここでお互いのカードは配られて揃ったわけ。

僕はね、大好きなあなたのことをもっともっと知りたいと思うから、どんどんあなたの持ってるカードを引いちゃう。
もうね、順番に交互に引くなんてルールはどこへやら、、、。
だって、好きになっちゃったんだからしょうが無いじゃん!?
好きな人のことを知りたいし、そこから共通の話題を知ったり、プレゼントに役立つ好物とか誕生日とか指輪のサイズとかファッションの好みに好きなブランド。
エースからキングまでどんどん引いちゃう。

「キミのハートのエースを俺のものにしたい」
とか
「キミの笑顔がジョーカーの微笑みに見えるよ」
はたまた
「キミを俺だけのクィーンにしたい」
なんて臭いセリフ言いながらね。

全開!!!

でも、あなたも僕のカードを引いてくれなきゃゲームは成立しないし、恋愛も始まらない。
一人のヒトとヒトのまま、いっこうに男と女にならない。

やっぱりね、相手のカードを引いて相手を知り、引いたカードで次の作戦を練り、相手にカードを引かせて次の展開を考える。
ときにはお互い次々にカードを切って流れを変えたり相手をもてあそんだり悩ませたりもする。

そんな駆け引きや、時には素直に泣いたり笑ったりしてはじめて恋愛の「キャッチボール」つまり「会話」は成立するでしょう?



人生がゲームだなんて、そんな偉そうなことは言わないつもりです。
でも、「人生ゲーム」って言うゲームが有るでしょう???
あのゲームは男と女の、そして人間の一生の喜怒哀楽のすべてでは無いもののおおかたの醍醐味を上手く表現していると僕は思います。

でも、どうせ同じ一生なら。
たった一度限りのこの世なら。

どんなゲームよりも面白く、どんなゲームの勝者よりも甘い生活を味わいたいではありませんか???

それこそが人間の生きる喜び。
人生の醍醐味でしょう!!!



すべては、カードを引くことから始まる。

カードを引いてナンボ。
引かせてナンボ。

それが出来ない人生ほど退屈なものは無いし。
バーチャルリアリティのディジタルゲームの中をさまようのと同じ。
それすら出来ない恋愛なんか、本当の恋愛とは言えない。
アイドルに憧れる。それと同じ。



人間なんだ!!!
嬉しければ笑い、痛ければ涙を流す。

秋葉原の連続無差別殺傷事件から一年が過ぎた今、人間の命の重みを、人生の広大さを、心の深さを。
今いちど考えてほしい。



もう一度だけ言う。

すべては、一枚のカードを引くことから始まる。
そのことを恐れていては、何も始まらない。

テーマ : 恋愛の悩み - ジャンル : 恋愛

2009/06/02 (Tue) 12:47
改正道交法

情報とは選んで見極めてこそはじめて活きるものだと思う。
フォトグラファーnoBuです。



昨日6月1日から改正道路交通法が施行されました。
主に飲酒運転の罰則強化と75歳以上の高齢者の運転免許更新方法が変わりました。

ここ数日テレビや新聞などの各マスメディアでは高齢者の交通事故の増加を盛んに唱えています。
確かにここ数年高齢者の事故は増加しているようです。
逆に若年層の事故は減少傾向にあるようです。

あくまで僕自身がデータを取ったわけでは無いので、警察庁などが作成した事故件数の年代別内訳を参考にモノを言うしか無いのですが、それによると確かに高齢者の事故ばかりが増加しています。

でもさ、これって当たり前じゃ無い!?
だって、単純に日本国内の人口だけ見たって高齢者が増えてるんだもん。
例えば仮に全人口の1パーセントが事故にあうとするよね。
昔は若者が1000人居て高齢者が100人だったとするじゃない。
そうすると若者は10人が事故にあって高齢者は1人しか事故にあわない計算でしょ?
それが今は若者と高齢者の比率が完全に逆転してるわけだから、若者が100人で高齢者が1000人みたいな感覚なのね。
当然事故率が同じでも若者は1人しか事故しなくて高齢者は10人事故する計算になるよね。
あくまで例えよ。
わかりやすくするための数字ね。

それに、昔は運転免許を取ろうって言う人が少なかったわけよ。
ピークは今の40代50代60代が一番多いんじゃ無い?
今の90代以上なんて車なんか高嶺の花!
営業は靴底をすり減らして歩いてナンボ!
そういう時代に免許なんか取らないじゃん。
そこから60代にかけて徐々に免許を取る人もクルマを運転する人も増加してるんだよね。
そうなりゃ高齢者で運転免許を持っている人だって昔よりは比率が高いのね。
つまり、高齢者の人口も増えていれば免許保有率も増えているわけ。
そうすりゃ単純に考えたって事故だってその人数分増えるのが当たり前!

逆に今の若者は車がつまらなくなったし、お金も掛かるし、公共交通機関のインフラ整備が進んだし、車よりも身近で欲しい物がたくさんあるし、ネットやゲームでいくらでもバーチャルな楽しみが増えてわざわざガソリン代と高速代なんか払って遠出なんかしなくたって楽しみはあるし、カラダで動く仕事よりも椅子に座ってコンピュータいじってる仕事が増えたからね。
車離れが進んでるのよ。
まして少子化。
そりゃ免許持ってる人口が減ってるんだもん。
事故だって減って当然じゃん!

こんな当たり前のことを考えさせるような問題提起もいっさい無く、ただ一方的に折れ線グラフ掲げて「高齢者の事故が増えてるから」とだけ言って法律で拘束する。
証拠と結果だけ見せて、偉い学者だか馬鹿な警察だか知らないけど、権力を傘に自信満々に国会答弁されたら誰だって「そうなんだぁ」とマインドコントロールされてることも気付かずに納得させられてしまう。
それをまたマヌケなマスコミが「右へならえ!」でわれわれ善良な市民にあたかもそれがすべて正しいかのようにマインドコントロールを仕掛ける。

あぁ、本当にバカバカしい!!!

その前に、複雑怪奇な道路をもっとわかりやすくするとか、交差点の周囲には物陰になるような建物を作ってはいけないとか、看板や幟の類は安全確認の妨げになるから歩道や道路の近くには立ててはいけないとか、そういうインフラ整備に力を入れるべきじゃ無いの!?

事故が起きたから取り締まるんじゃ無くて、事故が起きにくい環境整備をする。
それが本来の姿では無いのか!?
エアバッグよりもABSです。
事故ってからのことじゃ無くて、事故を未然に防ぐようにする。
それまず先決でしょう!?

警察だってわざわざ物陰に隠れて取り締まるんじゃ無くて、堂々と見えるところに居れば誰だって違反なんかしないって!
そう思わない!?

まぁさ、アメリカ映画とか見てればわかるけど、警察内に於いて交通課っていうのは車内左遷みたいな部署なんだよね。
刑事が問題を起こすと「またパトカー乗りに戻りたいのか!」なんていうセリフがあるじゃん。
日本でも同じ。
例えば息子がバイク盗んで捕まったとか、補導されたとか、そう言うことがあると警察官のお父さんは交番勤務とか交通課に飛ばされるわけよ。
謹慎みたいなもんね。

まったくこの国の法律っていうのは根本から本当におかしいなと思った、今回の道路交通法改正でした。

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